- 05.02 Sat [[旅 写真] 東京] 船のマストのオブジェ - 竹芝桟橋
- 05.01 Fri [[旅 写真] 東京] 朝の竹芝桟橋
- 04.30 Thu [[旅 写真] 東京] 変わり行く品川
- 04.28 Tue [[旅 写真] 東京] ぶらりBIG BIRD - 羽田空港
- 04.27 Mon [[旅 写真] 東京] 上野大仏 - 上野公園
- 04.26 Sun [[旅 写真] 東京] 野口英世像 - 上野公園
- 04.25 Sat [[旅 写真] 東京] ラジオ体操ひろばの碑 - 上野公園
- 04.11 Sat [[旅 写真] 東京] 春満開 - 立川昭和記念公園
- 03.10 Tue [[旅 写真] 東京] 09.03.08 - 上野公園の桜
- 02.22 Sun [[旅 写真] 東京] 今昔物語 - 佃島
- 02.21 Sat [[旅 写真] 東京] 佃1丁目 - 佃島
- 02.20 Fri [[旅 写真] 東京] 天安 - 佃島
- 02.15 Sun [[旅 写真] 東京] 蛤濠 - 皇居東御苑
- 02.14 Sat [[旅 写真] 東京] 桔梗濠 - 皇居東御苑
- 02.13 Fri [[旅 写真] 東京] 園内の花 - 皇居東御苑
- 02.12 Thu [[旅 写真] 東京] 汐見坂から白鳥濠 - 皇居東御苑
- 02.11 Wed [[旅 写真] 東京] 桃華楽堂 - 皇居東御苑
- 02.10 Tue [[旅 写真] 東京] 二の丸庭園 - 皇居東御苑
- 02.09 Mon [[旅 写真] 東京] 城内石垣 - 皇居東御苑
- 02.08 Sun [[旅 写真] 東京] 旧江戸城大手門 - 皇居東御苑
- 01.11 Sun [[旅 写真] 東京] 路地に入ると - 月島もんじゃストリート
- 01.10 Sat [[旅 写真] 東京] 月島もんじゃストリート
- 01.09 Fri [[旅 写真] 東京] 隅田川
- 01.08 Thu [[旅 写真] 東京] 歴史的建造物 - 明治生命館
- 12.25 Thu [[旅 写真] 東京] 新宿南口のイルミネーション

[ 東京都港区海岸1丁目 ]
朝起きたら天気が良かったき、ホテル横の竹芝桟橋をちっくと散歩して見たが。
朝早いき、人影はまばらじゃけんど、そんでもこの近くのマンションの住人じゃろうけんど、犬を連れて散歩をしゆう姿がチラホラ見受けられたがやき。
対岸に見えちゅうがは、レインボーブリッジとお台場やか。
今じゃー「観光スポット」の1つやけど、そもそもは東京港の海底を掘削した際の残土により埋立が進められ、「13号埋立地」と呼ばれちょった場所で、オンチャンが知っちゅう1975年頃は唯一「船の科学館」はあったけんど、残土と草ぼうぼうの他になんちゃー無い場所で、行きかう車と言うたら「中央防波堤」と呼ばれちょった「ちり(ゴミ)処分場」に向かう”ちり清掃車”がひっきりなしに走りまっちょったががを思い出すがです。
この周辺の人工島は1950年代後半からちりの埋めたてで出来、中にゃ「夢の島(14号埋立地)」や「新夢の島(15号埋立地)」とゆうた、なんぼもイメージアップのために付けられた名前の島もあるけんど、現実はちりで埋め立てられた人口島やか。
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[ 東京都台東区上野公園 ]
これも、あるとゆう話は聞いちょったけんど、見るのは初めてになる「上野大仏」ながやき。
上野大仏は、寛永8年(1631)に越後・村上藩主「堀直寄」氏が建立したものがで、その後、正保8年の地震被害、天保12年の火災に見舞われますが、そのつど修復をされちゅう。
その後の、安政2年の安政の大地震の際にゃ、頭部が倒壊してしもうたそうやけど、再び「堀」氏が修復したそうやか。
現在は顔の部分しか残っちゃーせんがは、関東大震災で頭部分が落ちたため、修復をしやーせんで、胴体部と頭部を別々に保存しよったがやと。
けんど、太平洋戦争の時に金属不足で軍部に接収され、鉄砲の弾になったがか何に化けたのか判りやーせんけんど顔のみ残され、昭和42年に現在の形で安置されてるようなが。
この「上野大仏」も、戦争の被害もんやきー。
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[ 東京都台東区上野公園 ]
これも今回初めて気がついた銅像で、上野公園の木立の中にひっそりと建っちゅう。
野口英世は、明治9年11月9日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれ、北里伝染病研究所を経て、渡米しロックフェラー医学研究所で研究を重ね、国際的にも高い評価を受けたがです。
その後、中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究中に自らも感染し、昭和3年に現在のアフリカ・ガーナ国の首都アクラで亡くなっちゅう。
享年53歳やった。
結構大きな銅像で、高さが約4・5mもあり、何故この上野の杜に建っちゅうのか経緯は不明やけど、昭和26年に野口英世銅像は序幕されたそうやか。
台石にゃラテン語で「PRO BONO HUMANIGENERIS」(人類の幸福のために)と刻まれちゅうがです。
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[ 東京都台東区上野公園 ]
オンチャンも2年程前まで東京におったけんど、こんな所に所にこんなもんが・・・・って、物があるがやきー。
こないだ、東京に行った時に気がついた物をチックと紹介するがやき。
子供の頃、夏休みになると朝眠い眼をこすりながら毎朝6時に近くの神社の広場によってラジオ体操をし、参加した日にゃ参加した印のスタンプを押したちろうたがやか。
そいて、しまいの日にゃ確か「ノート」らぁ「鉛筆」を貰うた記憶があるが。
そのラジオ体操に関する「ラジオ体操ひろば」なる碑を、上野公園で見かけたがやき。
場所は上野公園噴ぶんぶ広場交番横にあるけんど、平成3年に建てられたようで、毎年「春分の日」に都内各地から大勢の愛好もんが参加して、早朝のひととき「ラジオ体操」を楽しむがじゃと。
碑にゃこの場所とラジオ体操の詳しい関係は書かれちゃーせんけんど、毎朝「ラジオ体操」はしゆうがじゃろうと思います。
因みに、「ラジオ体操発祥記念碑」とゆうのも別にあって、此方は秋葉原の方にかぁーらんがぜよ。
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[ 東京都中央区佃1丁目 ]
熱々の白いご飯のお供「佃煮」を嫌いな人は少ないと思うけんど、発祥はここ佃島ですき。
「織田信長」が本能寺で明智光秀に襲われた時、「徳川家康」は光秀の手から逃げるため急遽「堺」から海路”三河”への脱出をしたがですが、その時船がなく困っちょった家康一行に手持船や漁船を集めて来たのが、摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁民じゃったそうです。
1603年に家康が江戸幕府を開いた時、この「佃村」の漁民33人を江戸に呼び、石川島に近い島を居住地として与え、故郷の佃村に因み「佃島」と名付けられたがが始まりです。
「佃煮」の始まりは、天候が悪く漁が出来ん時の保存食として、魚類を塩辛く煮込んだのが始まりで、その後、醤油を使用して醤油煮となったようです。
この「天安」さんも、天保8(1837)年創業で、初代が安吉という名前だったことが、「天安」の屋号の由来じゃそうでして、発祥の地「佃島」で老舗の「のれん」を守る1件ながです。
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[ 東京都千代田区丸の内 ]
桔梗門から坂下門にかけて広がっちゅうのが「蛤濠」です。
ここら辺だけ石垣の一部の色が違うちょって一寸綺麗じゃき。
それに石垣の積み重ね方がよう判るがですが、 直方体の角石を長短交互にに積み上げ「算木積み」ちゅうて、より強固な石垣の積み方だそうじゃき。(右角の白い石の部分を見れば判るぜよ)
写真左奥が、坂下門方面で建物は宮内庁です。
「坂下門」と言うたら、「坂下門外の変」が有名じゃあねー。
「桜田門外の変」で大老・井伊直弼が暗殺された後、老中・久世広周と共に幕府の実権を握った安藤は、開国路線を継承し幕威を取り戻すため公武合体を推進し、幕府は和宮降嫁を決定したきに、「尊王攘夷志士」らはこれに反発、憤激したがです。
万延元(1860)年7月、水戸藩の西丸帯刀・野村彝之介・住谷寅之介らと、長州藩の桂小五郎・松島剛蔵らが連帯行動する盟約(水長の盟約・成破盟約・丙辰丸の盟約)を結び、安藤暗殺や横浜での外国人襲撃等を計画したけんど、この期におよんで長州は藩内事情が許さんと言う理由から、水戸側は”長州の後援無し”に単独行動を起こす事となるがです。
文久2年(1862年)1月15日、安藤老中の行列が登城するため藩邸を出て坂下門外に差しかかると、水戸藩浪士・平山兵介、小田彦三郎、黒沢五郎、高畑総次郎、下野の医師・河野顕三、越後の医師・川本杜太郎の6名が行列を襲撃したがです。
しかし「桜田門外の変」以降、大名の警備は厳重になっちょったため、安藤老中は負傷をしただけで、切りかかった浪士ら6人は暗殺の目的を遂げる事なく逆に闘死したがです。
これが、「坂下門外の変」と言う幕末に起こった騒動です。
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[ 東京都千代田区丸の内 ]
東京におる人でも、「皇居東御苑」に行った事がある人は、意外と少ないがと違うやろうか。
旧江戸城の中心部じゃった本丸・二の丸と三の丸の跡が皇居東御苑として開放さちゅうがですき、一寸した穴場ですき、チックと紹介をしようと思いよるがです。
兎に角、東京駅の目の前で交通の便も良いけんど、昔の江戸城内の一部でして、無料ですき。
写真は大手町側の入り口で、大手橋を渡って大手門から中に入れます。
江戸時代に、勅使の参向や将軍の出入り、諸侯の登城などは、この門から行出入りすりがが正式じゃったがです。
3月1日〜4月14日 : 午前9時〜午後4時30分(入園は午後4時まで)
4月15日〜8月末日 : 午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
9月1日〜10月末日 : 午前9時〜午後4時30分(入園は午後4時まで)
11月1日〜2月末日 : 午前9時〜午後4時(入園は午後3時30分まで)
但し、休園は月曜日と金曜日(天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開)
なお,月曜日が休日で公開する場合には,火曜日を休園します。
12月28日から翌年1月3日までと、行事の実施その他やむを得ない理由のため支障のある日
5月の連休の頃の”ツツジ”とか6月頃の”菖蒲”などええぜすよ。
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[ 東京都千代田区丸の内2丁目 ]
明治生命館は,1934(昭和9)年に完成した洋風建築物で、鳩山邸・歌舞伎座・黒田記念館・博報堂等の設計で知られちゅう、様式建築の鬼才と言われた「岡田信一郎」の代表作であり遺作ながです。
重厚な石造りで、5階までを貫いているコリント様式の柱(写真の柱)が圧巻である外観です。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され,1956(昭和31)年にやっと返還されたがです。
元々、「明治生命」は旧三菱財閥グループの保険会社ですけんど、2004年1月に旧安田財閥グループの「安田生命」と合併し、現代の「明治安田生命保険相互会社」になっちゅうがです。
1997(平成9)年に、歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されたがです。
別館も覗いて見て下さい。

































































