
[ 奈良県奈良市雑司町 ]
此処のシカ達は、古くは「春日大社」の「神鹿」であり、今は「国の天然記念物」で、奈良のシンボルとして、奈良公園近辺には沢山の野生のシカが保護されちゅうがです。
何故、奈良公園にシカが多いかと言うと、710年に藤原不比等が氏神として「春日大社」を創建した時、「鹿島神宮」から勧請した神様が白鹿に乗って春日山に入ったという言い伝えがあり、春日大社・興福寺のシカは神の使いである「神鹿」として今日にまで大事にされちゅうがです。
そのため、江戸時代まで「神鹿」のシカを傷つけたり、殺したりしたらエライ罪に処せられ、死刑される事もあったそうながです。
菩提院大御堂の境内(興福寺南側)には「石子詰伝説」として知られちゅう、「三作塚」なるものがあるがです。
これは実際に、シカを誤って殺したがために、石子詰(生き埋め)された子供の話ながです。
昔、三作という子供がお堂の側の寺子屋で習字をしよったと。
そこへ「神鹿」である春日大社のシカやってきて、廊下に置いちよった三作の習字草紙を食べたがです。
三作は鹿を追い出そうとして、現在の文鎮のような物を投げつけたところ、運悪く当たり所が悪かったようでシカが死んだがです。
その当時、「神鹿」を殺した者は石子詰の刑と言って、殺したシカと一緒に生き埋めにすると言う「刑」があっって、老若男女の関係もなく、当然、子供だからと言った容赦のない処刑法だったがです。
三作は捕らえられ、大御堂側の庭に掘った穴に、死んだシカと抱き合わせの形で入れられ、石を詰め込んで生き埋めにされたと言うがです。
その時、三作はまだ13才だったそうです。
悲しんだ三作の母は、三作の永年供養にと側に「紅葉」を植えたそうで、それから 「鹿にもみじ」の言葉が生まれたとか。
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