
[ 京都府京都市上京区京都御苑 ]
この辺りが「禁門の変(蛤御門の変)」の激戦地辺りじゃろうか。
幕末の文久3年(1863)8月の政変で、長州藩など尊攘派が京都から追放されたがです。
そこで「長州」は、勢力挽回を図るため元冶元年7月19日、京都御所を警備しちょった「薩摩」、「会津」らと激しい戦闘が行われ、発砲した弾丸が御所にも飛び込んだが。
戦闘は1日で終ったけんど、戦闘による火災で京都の町は21日まで燃え、多くの町民が避難したらしい。
この頃「龍馬」は”神戸海軍塾”の塾頭をしよったがです。
けんどこの「禁門の変」に、神戸海軍操練所の塾生が長州側に加担したのが発端で、海軍塾は幕府から閉鎖させられ、勝海舟も解任されたき、勝の紹介で西郷吉之助(西郷隆盛)を頼って薩摩藩邸に入るがです。
歴史とは面白いもんでって、慶応元年(1865)に京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪れるようになって、二人はこの頃から「薩長同盟」へと動き始めるがです。
高知関連は南国土佐へ来てみいやにあるき、こっちも見に来てや。
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