- 06.29 Mon [[旅 写真] 京都] 蛤御門辺り - 京都御所
- 06.27 Sat [[旅 写真] 栃木] 蔵の街 - 栃木市
- 06.25 Thu [[旅 写真] 神奈川] 外人墓地 - 横浜異国情緒
- 06.23 Tue [[旅 写真] 神奈川] 山手80番館遺跡 - 横浜異国情緒
- 06.21 Sun [[旅 写真] 神奈川] 横浜山手散策 - 横浜異国情緒
- 06.19 Fri [[旅 写真] 東京] 高幡不動尊
- 06.17 Wed [[旅 写真] 神奈川] 港の見える丘公園 - 横浜異国情緒
- 06.15 Mon [[旅 写真] 神奈川] MM21 - 横浜異国情緒
- 06.13 Sat [[旅 写真] 神奈川] ”赤い靴”と”かもめの水兵さん” - 横浜異国情緒
- 06.11 Thu [[旅 写真] 神奈川] くじらのせなか - 横浜異国情緒

[ 京都府京都市上京区京都御苑 ]
この辺りが「禁門の変(蛤御門の変)」の激戦地辺りじゃろうか。
幕末の文久3年(1863)8月の政変で、長州藩など尊攘派が京都から追放されたがです。
そこで「長州」は、勢力挽回を図るため元冶元年7月19日、京都御所を警備しちょった「薩摩」、「会津」らと激しい戦闘が行われ、発砲した弾丸が御所にも飛び込んだが。
戦闘は1日で終ったけんど、戦闘による火災で京都の町は21日まで燃え、多くの町民が避難したらしい。
この頃「龍馬」は”神戸海軍塾”の塾頭をしよったがです。
けんどこの「禁門の変」に、神戸海軍操練所の塾生が長州側に加担したのが発端で、海軍塾は幕府から閉鎖させられ、勝海舟も解任されたき、勝の紹介で西郷吉之助(西郷隆盛)を頼って薩摩藩邸に入るがです。
歴史とは面白いもんでって、慶応元年(1865)に京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪れるようになって、二人はこの頃から「薩長同盟」へと動き始めるがです。
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[ 巴波川沿い ]


[ 山本有三ふるさと記念館 ]
[ 栃木県栃木市室町 ]
江戸時代には、巴波川を利用して船で”江戸”との商売が盛んじゃったのと、宿場町として盛えた商都で、「小江戸」の別名を持っちゅう所なが。
戦災を免れただけあって、市内各所に、歴史的な街並や寺院などが多く残っっちょって、ノスタルジックな観光が楽しめるがです。
散策中に目に留まったのが、やはり蔵を改装した「山本有三ふるさと記念館」。
この街出身の作家さんやったがじゃねー。
オンチャンは「路傍の石」ぐらいしか知らんけんど・・・・・(^^ゞ
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[ 神奈川県横浜市中区山手町・横浜山手地区 ]
山手地区のもう一つの観光スポットの定番と言うたら、外人墓地じゃろうねー。
横浜が開港した当時に貢献した人々や、40数ヵ国の外国人約4500人が眠っちより、資料館もあり墓地維持管理募金のための公開があるがですと。
1854年に2回目の”ペリー艦隊”が来た時、事故死した水兵を埋葬したががこの「横浜山手外国人墓地」の始まりじゃそうで、その後、1862年に現・神奈川県横浜市鶴見区生麦付近で、馬に乗って散歩中のイギリス人4人が、薩摩藩主の父「島津久光」の行列に乱入して来たき、供回りの藩士が殺傷した「生麦事件」で死亡した、リチャードソンも埋葬されちゅう。
此処からは、”みなとみらい地区”も見えるがです。
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[ 神奈川県横浜市中区山手町・横浜山手地区 ]
元町から「元町公園」西側の小径を山手本通りへ向かって登って来ると、明治末から大正初期の建物跡で、「山手80番館遺跡」があるがです。
住んじょったがは、”マクガワン”と言うフランス人夫妻のようで、記念碑の壁面には、発掘された綺麗な”タイル”が埋め込まれ展示されちゅう。
建物は、鉄筋補強のレンガ造りによる三階建ての建物じゃったようで、発掘されて残っている部分は地下 室部分のようで、横浜に現存する唯一の震災前の外国人住宅の遺跡と言うことじゃき。
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[ 神奈川県横浜市中区山手町・横浜山手地区 ]
横浜観光のひとつがこの「山手」の散策じゃねー。
1861年幕府は開港に伴うてこの高台を各国の領事館用地として貸与し、イギリス・フランス両国軍の駐留を承認した、外国人の居留地じゃった所ながです。
当時の建物の殆どは”関東大震災”倒壊したけんど、大正末から昭和初期にかけて建てられた洋館などが今も残っちゅう。
丘の上に登ってくると、麓の関内や元町等とは違った、異国的な情緒が広がっちゅう。
保存されちゅう洋館それぞれにも趣があり、横浜山手観光のコースになっちゅうがです。
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[ 東京都日野市高幡・高幡不動尊 ]
ここ高幡不動尊は都内でも有数の”アジサイ”の寺として有名ながです。
特に”山アジサイ”が咲き誇るがです。
寺は”関東三大不動”の一つとして信仰され、「高幡のお不動さん」として親しまれちゅう。
またこの寺は新撰組の”土方歳三”の菩提寺でもあるき、境内には土方歳三の銅像が建っちょります。
なお”土方歳三”の墓は、多摩川を挟んで対岸の”愛宕山地蔵院石田寺”にあるが。
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[ 神奈川県横浜市中区山手町・港の見える丘公園 ]
高台にあって、横浜港や横浜ベイブリッジが眺められると言う意味じゃ、ここもまた横浜観光の欠かす事が出来ん場所じゃねー。
景観と言う意味じゃ「山下公園」の方が綺麗じゃと思うがですが、ただ「港」が見下ろせると言うだけで、横浜港や横浜ベイブリッジを眺めに、わざわざ此処にあがってくる観光客も多いがです。
正直言ってこれと言う、風景が広がっちゅう訳じゃないけんど。
それだけ人を引き寄せる魅力は「港の見える丘公園」と言う「ネーミング”じゃないがですろうか。
それにしても「山下公園」と言い、ただの”公園”が観光資源として機能しちゅうと言う事を、先人達は想像すらせんかったろうに。
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[ みなとみらい21全景 ]

[ 横浜ランドマーク・タワーと汽車道 ]

[ 横浜ランドマーク・タワーと日本丸 ]

[ 夜景 ]
[ 神奈川県横浜市西区-中区・横浜みなとみらい21地区 ]
昔はこの辺りは、三菱重工の造船所や、国鉄の操車場・貨物駅があった辺りで、観光客の行きかう場所じゃなかった。
1980年以降、再開発の構想が持上り、今日のような横浜のシンボル的な”横浜みなとみらい21(MM21)”と呼ばれる、「就業」・「居住」・「遊ぶ」を合わせた複合施設が誕生したがです。
今でこそ、赤レンガ倉庫群も整備され”赤レンガパーク”として、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設になっちゅうけんど、1986年のTV「あぶない刑事」のエンディングで使用されて存在をしった程度で、その前後は倉庫としての役割も終え、しばらく放置されちょった場所なが。
MM21の再開発事業で、整備されず解体されていたら、新たな施設が建っただろうけんど、今のような注目度があったか否かは判らんがです。
結局このMM21は「赤レンガ倉庫群」をはじめ、「汽車道」や「日本丸」・「ドックヤードガーデン(三菱造船所のドック)」等の、古い施設も整備され残された事が、観光事業にも繋がっちゅう。
ただ残すのではなく、整備して新たに”生かそう”とした、関係者らーの「センス」がエエがですねー。
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[ 神奈川県横浜市中区山下町・山下公園 ]
山下公園の中には、童謡「赤い靴」の像と「かもめの水兵さん」の碑が建っちょります。
童謡「赤い靴」の方は、実話を題材にして書かれたという話が定説化しちゅうがじゃねー。
歌のモデルになった少女は、静岡県清水市出身のの「岩崎かよの娘・きみ」が、赤い靴を履いていた少女のモデルされちょります。
「定説」への異議ちゅうもんもあるようですけんど、取合えず「定説」として・・・・・(^^♪
この像を見るたんびに、「寂しそうな表情で何を想いながら海を見ゆうがじゃろう」と、思うがです。
「かもめの水兵さん」の方は、作詞をしちゅう「武内俊子」さんが、1933年に叔父さんをハワイへ見送る際に、青空の下をかもめが飛びゆう事をヒントにして、詞が書かれたそうながです。
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[ 神奈川県横浜市中区海岸通1丁目・大桟橋 ]
横浜の海の玄関と言うたら、この「大桟橋」じゃねー。
昔の大桟橋がどんなやったか記憶にないけんど、現在の「大桟橋」は、行ってみたらビックリすると思うぜよ。
対外、こうした場所言うたら、税関もあるき利用者か関係者位しか立入り出来んような所で、殺風景なただの岸壁のような場所が多いけんど、此処は違うが。
何がって、まずは空間造りもそうじゃけんど、誰でも自由に立入りが出来ると言う、港に溶け込んだ公園のような機能も果たしちゅうが。
この屋上のフリースペースは、ウッドデッキの広ーい空間の中に芝生広場があったりして、開放感たっぷりで、ゆったりとした空間が広がっちゅう。
昼間は客船の入出港や、みなとみらい地区やベイブリッジの景観がパノラマで眺めることができ、夜は夜でまた港の夜景が広がる贅沢な場所なが。
このデザインは、国際コンペで採用されたそうやねー。
普通やったら無機質なコンクリート造りの建物が出来ると思うけんど、形も流線型で斬新じゃし、それに暖かさが感じられるがですき、いつも人で賑わっちゅう。
愛称は、形が”大きなクジラ”に見えると言う事から、「くじらのせなか」と呼ばれちょります。
このデザインも「センス」がエエと思いますき。
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