2005.09.28 Wed
(4) 深夜放送で映画にハマル
初めて川崎の駅に降りた時にや、青空が無いのに驚いたぜよ。
当時は日本全国で公害問題がクローズアップされていた頃で、川崎の町も大気汚染で病んじょった。
アパートは年代物の古い二階建ての建物で、トイレ・台所は共同。
陽の当たらない1階の6畳1間の板の間で、隙間風の入り込む部屋やった。
親が仕送りしてくれた「お金」からで家賃と光熱費、授業料を差引くと、手元に残る金は殆ど無かったき。
生活費を出すためにアルバイトもした、それが食費と交通費やった。
だから部屋には物が殆ど無かったし、と言うかお金が無いから買えんかった。
段ボール箱に拾ってきたコタツ板を乗せただけのテーブル。
後は、炊飯器にトースターと布団だけ。
当然、扇風機も暖房器具もなかった。
東京に出て最初の冬、東京で大雪が降った。
目が覚めたら枕元が薄っすらと白くなっちょた。
柱と壁との隙間から雪が吹き込んでいたんだ・・・ちょっと信じられないかも知れないが本当の話ぜよ。
この時、友人と何故か明治神宮に行って、初めて雪合戦をしたねぇ。
故郷土佐じゃ、雪が積もる事がないから珍しかったき。
また暖房器具が無かったから、夜はトースターを両足の間に置き、覆いかぶさるように身体を丸めて布団をかぶって我慢しちょった。
ある時、そのまま寝込んだらしいが。
身体が前に倒れこんで、腕を焼けどした。・・・バカげた話ぜよ。
ある日そんな状況を見た大家さんが哀れんで、絨毯と中古の白黒テレビとコタツをくれたぜよ。
当時は毎日何処かのTV局が深夜放送で映画を流していたので、コタツの中に潜って映画を見続けた。
高校時代に音楽の女教師から受けた影響で、映画は観ていたが本格的に映画にのめり込んで行ったのはこの頃からぜよ。
当時、都内には至る所に映画館があり、その中には格安で観れる名画座が沢山あった。
良く行ったのは渋谷の東急文化会館にあった東急名画座。
1950〜1970年頃の名作を1本200円の金額で、4〜6日程度の割合で作品を入れ替えて上映しちょた。
3本立てで500円と言う映画館もあり、休みの日などは良く行った。
授業が終わればその足で、試験中であっても終了後は映画館の椅子に座っていた。
だからアルバイトをしても食費よりも、映画代に消えていた。
だから、金が無かったのかー・・・(^^ゞ
月末になると、手元に現金が残っていないから、袋麺を半分にし2日で食べたり、カレーを作っても肉が買えないからジャガイモだけのジャガカレーだったりしたぜよ。
社会人になって、給料が貰えるようになって、ようやく好きな映画音楽のレコード集めを始めたきねぇ。
その前にアンプ・チューナー・プレーヤーとコンポーネント・ステレオを揃えたのは言うまでも無いけんど。
そして輸入盤の映画音楽を求めて、足繁く通ったのは渋谷の「渋谷クロスタワー」(旧・東邦生命ビル)2Fにあるすみや だった。
| オンチャンと夜と音楽と | 23:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑




使用機材
・CANON EOS-3
・CANON EOS-40D
・CANON G9














