オンチャンはゆく

日本にゃまだまだしょうえい所が一杯あるがぜ。東奔西走しながら撮った写真や、ぶらり旅の戯言を書いちゆうがです。

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ゆったりと - 哲学の道

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[ 京都府京都市左京区 ]


桜のシーズンには人の行列でごった返す「哲学の道」も、観光客が少ないこの時期、緑の中を流れる疎水沿いの写真を撮りに行くのには、もってこいながです。

静かな空間を独り占め出来、ゆっくりと誰にも邪魔されることなく、過ごせる場所なが。

この佇まいが本来の「思索の小径(哲学の道)」じゃねー。


高知関連は南国土佐へ来てみいやにあるき、こっちも見に来てや。


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銀箔を貼った痕跡は無し - 銀閣寺

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[ 京都府京都市左京区浄土寺大山町 ]


銀閣寺の観音殿です。

上層には「潮音閣」と言われる唐様の仏堂があって、現存する唯一の室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築じゃそうながです。

この「観音殿」を2007年に科学的な調査をしたそうじゃけんど、何処からも銀箔を貼った痕跡が見つからんかったそうなが。

足利義政は元々、禅宗文化に帰依した人じゃったそうで、当初から”銀箔”を貼る予定も無かったそうじゃき、如何して「銀閣寺」と呼ばれるか不思議ながです。


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蛤御門辺り - 京都御所

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[ 京都府京都市上京区京都御苑 ]


この辺りが「禁門の変(蛤御門の変)」の激戦地辺りじゃろうか。

幕末の文久3年(1863)8月の政変で、長州藩など尊攘派が京都から追放されたがです。

そこで「長州」は、勢力挽回を図るため元冶元年7月19日、京都御所を警備しちょった「薩摩」、「会津」らと激しい戦闘が行われ、発砲した弾丸が御所にも飛び込んだが。

戦闘は1日で終ったけんど、戦闘による火災で京都の町は21日まで燃え、多くの町民が避難したらしい。

この頃「龍馬」は”神戸海軍塾”の塾頭をしよったがです。

けんどこの「禁門の変」に、神戸海軍操練所の塾生が長州側に加担したのが発端で、海軍塾は幕府から閉鎖させられ、勝海舟も解任されたき、勝の紹介で西郷吉之助(西郷隆盛)を頼って薩摩藩邸に入るがです。

歴史とは面白いもんでって、慶応元年(1865)に京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪れるようになって、二人はこの頃から「薩長同盟」へと動き始めるがです。


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蔵の街 - 栃木市

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[ 巴波川沿い  ]

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[ 山本有三ふるさと記念館 ]

[ 栃木県栃木市室町 ]


江戸時代には、巴波川を利用して船で”江戸”との商売が盛んじゃったのと、宿場町として盛えた商都で、「小江戸」の別名を持っちゅう所なが。

戦災を免れただけあって、市内各所に、歴史的な街並や寺院などが多く残っっちょって、ノスタルジックな観光が楽しめるがです。

散策中に目に留まったのが、やはり蔵を改装した「山本有三ふるさと記念館」。

この街出身の作家さんやったがじゃねー。

オンチャンは「路傍の石」ぐらいしか知らんけんど・・・・・(^^ゞ


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外人墓地 - 横浜異国情緒

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[ 神奈川県横浜市中区山手町・横浜山手地区 ]


山手地区のもう一つの観光スポットの定番と言うたら、外人墓地じゃろうねー。

横浜が開港した当時に貢献した人々や、40数ヵ国の外国人約4500人が眠っちより、資料館もあり墓地維持管理募金のための公開があるがですと。

1854年に2回目の”ペリー艦隊”が来た時、事故死した水兵を埋葬したががこの「横浜山手外国人墓地」の始まりじゃそうで、その後、1862年に現・神奈川県横浜市鶴見区生麦付近で、馬に乗って散歩中のイギリス人4人が、薩摩藩主の父「島津久光」の行列に乱入して来たき、供回りの藩士が殺傷した「生麦事件」で死亡した、リチャードソンも埋葬されちゅう。

此処からは、”みなとみらい地区”も見えるがです。


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